【歳時記】3月28日 今日は何の日?:シルクロードの日、三ツ矢サイダーの日、スリーマイル島原発事故の日

シルクロードの日(伝説の都市「楼蘭」発見の日)

今から2000年もの昔、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロプ・ノール湖の西岸に楼蘭(ろうらん)というシルクロードのオアシス都市がありました。

楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまいましたが、1900年3月28日、スウェーデンの地理学者・探検家スウェン・ヘディンによってその廃墟が発見されました。これを記念して「シルクロードの日」となりました。



長い間歴史から姿を消していた都市を探検して見つけるなんて、まるで映画やゲームの話みたい、すごくロマンがのある話です。

シルクロードでは何が運ばれた?

なぜ、「シルクロード」って言うのでしょうか?

古代中国と、西域であるヨーロッパやペルシア、インドとの交易が始まったころ、中国から絹、陶磁器、香料、お茶、紙などが西域へ運ばれ、西域からは宝石、銀、砂糖などが中国へと運ばれました。

その中でも絹は交易の象徴でした。そこで、ドイツの地理学者、フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンが著書「中国」の中で、この交易路を「絹の道(シルクロード)」と名付けたことがはじまりです。

先に述べた「楼蘭」を発見したヘディンはリヒトホーフェンの弟子でした。

楼蘭の発見など彼自身が探検した記録をまとめた中央アジア旅行記のタイトルに「シルクロード」と名付けて出版したことから、この名が一躍有名になります。

中国政府もたいそうお気に入りのようで、「一帯一路」の「一路」はシルクロード経済ベルトを指します。



シルクの製法技術はトップシークレット、門外不出だった

絹の発祥は紀元前2000年頃と言われています。

伝説では、中国の黄帝(伝説の聖帝)の王妃・西陵がお湯の中に繭(まゆ)を落としてしまい、それを箸で拾い上げようとしたときに箸に巻きついてきたので絹糸の発見できたと言われています。

伝説はさておき、カイコから糸を紡ぎ出してあの美しいシルクができるとは、大発見であり、簡単に誰もが思いつくような代物ではありませんでした。高値がつくのも当然で、織物の重さと同じ金と交換されていました。

さて、これが宝石や特殊な香辛料なら、産地さえ囲っておけばいつまでも高値で売れるわけですが、養蚕と絹糸の製糸は技術なので、技術が漏えいしたら終わりです。

このため歴代王朝に渡って、絹の製法に関することはすべてトップシークレット。門外不出の極秘情報でした。蚕を中国の国外に持ち出したものは死刑に処せられたとされています※。

注:世界大百科事典 第2版 きぬおりもの【絹織物】



それでも、情報はいずれは漏れ出るもので、西暦6世紀中ごろに、産業スパイによって東ローマ帝国に蚕と養蚕技術が流出し、領内で生産が始まりました。

その後、東ローマ帝国がの衰退とともに養蚕技術は拡散していきます。

不思議なことに、日本では弥生時代には養蚕がはじまっていたようです。「魏志倭人伝」では、日本での養蚕や絹についての記述がありますので、弥生時代には中国や百済からの帰化人によって、養蚕の技術が伝えられたと考えられています。

西の方には高く売れるから技術流出に気を使っていたものの、東の方は手薄だったようですね。もっとも、当時の日本は東の地の果てですから交易相手も中国以外になく、彼らにとってもあまり問題ではなかったのでしょう。

千年の時を超えて、養蚕と生糸が日本の近代化と助けます。明治から昭和初期にかけて、生糸は日本からの輸出の40%~70%を占めていました。

1900年ごろから太平洋戦争に突入するまで、日本は中国を抜いて世界一の生糸輸出国になりました。最大の輸出先はアメリカです。

生糸が稼いだお金で近代化のための工作機械や発電機などを買っていたのです。

三ツ矢サイダーの日

3月28日をそのまま語呂合わせで読んで「三ツ矢の日」!

1881(明治14)年)イギリス人化学者、ウィリアム・ゴーランドが、兵庫県多田村平野(現:川西市平野)の平野鉱泉を飲料の炭酸水として「理想的な鉱泉」として認めたことで、炭酸水の製造が始まったのがはじまりです。

この炭酸水は「三ツ矢平野水(ひらのすい)」という名前で発売されました。

この「三ツ矢」という名前の由来ですが、平安時代に源満仲(みなもとのみつなか)という武将が築城の際に大阪・住吉大社にお参りに行ったところ、“矢の落ちた所に築城しなさい”と、お告げを受けたそうです。

さっそく矢を放つと、現在の兵庫県川西市の多田沼(ただぬま)という沼に住みついて、住民を苦しめていた龍に命中しました。すごい飛距離!

満仲はお告げどおり、矢が落ちた場所に城を築き、彼が放った矢を見つけた男性に“三ツ矢”という名字と、三本の矢羽(やばね)の紋を与えました。

この多田沼の湧き水が「平野鉱泉」です。

平野鉱泉にはこのような伝承が伝わっていたことから、「三ツ矢」という名前を商品に取り入れて商標を取得したそうです。

現在の「三ツ矢サイダー」という名前になったのは1968(昭和43)年です。意外と最近のことだったのですね。生産当初からずっと同じ名前だと思っていました。



スリーマイル島原発事故の日

1979(昭和54)年)3月27日、米国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で炉心溶融事故が起きました。世界初の原発の重大事故でした。

事故を起こした2号炉は、電気出力が96万kw、福島第一原子力発電所の1、2号機の約2.5倍。3号機の1.5倍のサイズです。

もともと試験運転中から蒸気漏れなどのトラブルが相次ぎ、修理や部品交換に時間がかかって営業運転になかなかたどり着けず、営業運転開始後も、小さな故障が次々と発生する、いわく付きのプラントだったようです。

事故は福島第一原発と同じく「原子炉の空焚き」によるメルトダウンです。

事故に至った要因としては、冷却水を送り込む主給水ポンプが停止したり、機器の故障や運転スタッフの誤操作が重なるなど、マイナートラブルの積み重ねが、ここまでの重大事故を引き起こしたと事後調査により判明しています。

周辺地域では非常事態が宣言され、十数万人にのぼる周辺住民の大規模避難が行われましたが、幸いにも住民が浴びた放射線量はわずかで健康に影響が出るほどではなかったと言われています。

この事故をきっかけと反原発の世論が高まり、約30年にわたって原子力発電所の新規建設が途絶えることになりました。