今日は何の日?4月2日は図書館開設記念日、国際こどもの本の日


今日は、2つの記念日をとりあげますが、偶然にもどちらも「本」に関係する記念日です。ところが由来は全く異なるのです。奇遇というほかありません。

図書館開設記念日

1872(明治5)年)4が月2日、東京・湯島の昌平坂学問所の講堂跡に日本初の官立公共図書館で帝国図書館の前身である東京府書籍館(しょじゃくかん)が開設されました。難しいいいかたですね。

もちろん、近代化を目指して何事も欧米から学ぼうとしていたこの時期、この図書館はロンドン図書館などを参考にしてヨーロッパ式の図書館でした。

のちに、上野図書館として親しまれた。

この湯島の聖堂にできた「書籍館」はその後「帝国図書館」と名前を改め、湯島から上野に移ります。

この「帝国図書館」の開館は1897(明治30)年4月27日。なお当初は大宝律令の時代からの呼び方で「ずしょかん」と読んでいたそうです。

「としょかん」と統一されるようになったのは大正以後です。当時の読み方などどうやって判ったのでしょうね。「図書館」という漢語のよこに万葉仮名が振ってあったのでしょうか。

色々紆余曲折があって、現在は国立国会図書館に統合され、上野の国立国会図書館支部であった建物は国際子ども図書館となっています。

日本最初の図書館は奈良時代に設立された!

前述のとおり、大宝律令の時代にならって「ずしょかん」と呼んでいたということは、当時、図書館があったということになります。

近鉄奈良線の新大宮駅から北に800m。奈良市立一条高校の敷地の東側m国道24号(奈良バイパス)の歩道に面したところに、一本の碑が建てられています。

碑文には

「日本最初の公開図書館 芸亭(うんてい)伝承地」

と書かれています。

「芸亭」。別名を芸亭院とも言い、奈良時代末期の文人・石上宅嗣(いそのかみのかやつぐ)によって建てられた施設と伝えられています。

石上宅嗣は大納言の地位にまで昇る一方で,たいへんな知識人であり 熱心な仏教信者でもありました。

晩年に平城京にあった自分の邸宅を阿閤寺として改築した際に、その一角に設けた書庫を一般に公開し、希望者が自由に閲覧できるようにしました。

芸亭がつくられる前、奈良時代初期(8世紀の初めごろ)にも国家の蔵書が集められた「図書寮」という役人向けの施設はありましたが、誰もが利用できる施設ではありませんでした。

蔵書を一般公開するという「芸亭」の誕生は、画期的なことだといえます。

芸亭には、宅嗣が収集した古今の仏典や、儒教に関する書物など漢籍(漢文で書かれた中国の書物)を中心に集められており、大勢の人たちがここに通い、学んだと言われています。
のちに漢学者として大成する賀陽豊年(かやのとよとし)もそのひとりだと言われています。

宅嗣が無くなった後も、芸亭は存続し続けました。

しかし、都が平城京から長岡京、平安京へと移り、藤原氏の権勢が高まり石上氏の力が弱まるなどして、維持することが難しくなったのでしょう。9世紀初めごろには無くなってしまったようです。

弘法大師(空海)も影響を受けた図書館

弘法大師(空海)が829年に書いた「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)式」で芸亭について触れています。「始めありて終りなく、人去って跡あれたり」。

弘法大師がこの書物を書き記した当時には、既に芸亭は無くなっていたことがわかります。

また、弘法大師は同書にて、大師自身が開いた庶民のための私立学校「綜芸種智院」の先駆けとなった存在として芸亭と、吉備真備の「二教院」の名を挙げています。

弘法大師までもが、その存在に一目を置いていた芸亭。歴史の表舞台のストーリーで語られることは有りませんが、当時の好学の徒たちに与えた影響は、決して小さくはなかったと思います。



国際こどもの本の日

こちらも本にちなんだ記念日です。

「国際こどもの本の日」は子どもの本を通して世界中が国際理解を深める日として、4月2日がデンマークの童話作家アンデルセンの誕生日からこの日が選ばれました。

なお、この記念日を提唱したのは、イエラ・レップマンというドイツの児童文学作家ですが、彼は児童文学界のノーベル賞といわれている「国際アンデルセン賞」を受賞しています。アンデルセンに敬意を示してこの日にしたのでしょう。

国際児童図書評議会(IBBY)は、この提案を受け、1967年からこの日を正式に祝うこととしました。

アンデルセンについての豆知識

アンデルセンは1805年に靴職人の父と洗濯婦の母の元に生まれます。家庭は非常に貧しかったものの、「天才児」として成長していくことに。

自信満々でコペンハーゲンに上京し、オペラ歌手や劇作家を目指すも挫折します。冷遇される時代を過ごしました。

その後、旅の経験をもとに著した紀行文から徐々に文壇でも有名になりますが、彼は童話作家になりたかったようですが、最初はなかなかヒットしません。

アンデルセンの作風は、・・・少し暗くて物悲しいですよね。「嘆きと悲劇」と評する人もいます。

これは、自身の生まれや挫折の経験を経て「貧民は死ぬことでしか幸せになれない」という哲学を得てしまったからのようで、童話という形式で自身の哲学を記し続けました。

「マッチ売りの少女」や「人魚姫」のように、「主人公が死を迎える」という童話らしからぬ作品が多いのもこのためでしょう。

独自性と言えばその通りですが、発表当初は理解されず、バッシングの的にされていました。

その後、評価を受けるとともに、彼の人生哲学も難化。徐々にハッピーエンドを迎える作品も増えてきます。「アナと雪の女王」の原作となった「雪の女王」もそうですね。

1875年、アンデルセンはコペンハーゲンにてこの世を去りました。

晩年には大人気作家となっていた彼の葬儀には、当時のデンマーク王太子から浮浪者まで、あらゆる世代の人々が参列したと記録にのこされています。

アンデルセンは極度の心配性だった

アンデルセンは、極度の心配性だったということが知られています。

毎晩、寝る際には、間違って埋葬されないようにと、枕もとに「死んでいません」というメモを用意したり、非常時に脱出できるようにロープを常備していたりと、病的ともとれる心配性なエピソードも残っています。

ただ、眠っているあいだにまちがえて埋葬されてしまったという事件はアンデルセンの時代には本当にあったそうです。

エドガー・アラン・ポーの短編小説「早すぎた埋葬」という作品もありますしね。

どんないい加減さだよ!とツッコミを入れたくなりますが。

恋多きアンデルセン。恋愛下手は筋金入り?

アンデルセンは生涯独身で過ごしました。
これは女性や恋愛に興味がなかったのではなく、実際には彼は恋多き生涯を送りましたが、結局どの恋も成就しなかったからなのですが・・・。

イケメンじゃなかったから?
若い頃は売れない作家だから?

確かに、アンデルセンが自分の容姿にコンプレックスを抱いていたというのは事実のようですが、晩年の彼は超売れっ子作家ですからね。年の差婚だってできたはず。

どうやら、ラブレター代わりに自叙伝を送るという変なクセがあったことが大きく影響しているようです。そりゃ、ちょっと引きますよねぇ。

そんなこんなで今も色あせないアンデルセン作品。彼の人となりに少し触れると見方も変わりますね。