今日は何の日?4月3日はインゲン豆の日と日本橋開通記念日

  • 2021年3月22日
  • 4月


4月3日の記念日は「インゲン豆の日」と「日本橋開通記念日」の二つを取り上げます。
インゲン豆はサヤインゲンでおなじみかと思います。夏が旬の野菜ですね。

日本橋はあの東京の、首都高の高架が覆いかぶさってちょっと窮屈そうな「日本橋」です。
今回はこのふたつを深堀りしていきます。

インゲン豆の日とは?日本に広めた隠元禅師にちなんで

インゲン豆のという名前の由来は、隠元さんという偉いお坊さんが日本に広めたから、というのは良く知られていると思います。

その隠元さん、隠元弾師は中国福建省生まれの禅宗のお坊さんです。

当時の中国は、明朝が滅亡に向かう混乱のさなかにあり、ちょうどそのタイミングで日本側から、禅宗を広めてほしいと招へいの話がありました。

当時、隠元禅師は60歳を超えていましたが、大決断をして弟子とともに日本に渡ってきました。江戸時代初期の頃です。

時の将軍、徳川家綱は彼を厚くもてなし、京都の宇治に、中国にいた時と同じ萬福寺(まんぷくじ)をというお寺を立てさせました。

隠元禅師は禅宗のお坊さんですから厳しい戒律でセルフコントロールしているわけですが、特に彼の戒律は当時の日本の禅宗よりも厳しかったようで、日本の禅宗にも影響を与えたようです。

さて、禅宗といえば精進料理をイメージされるひとも多いでしょう。当然、隠元禅師も精進料理しか食べなかったのでしょうが、そこで愛用していた材料の「豆」を日本に紹介し普及させました。これがインゲン豆です。

この逸話のおかげか、インゲン豆は中国が原産地のイメージがありますが、中南米が原産地です。大航海時代にヨーロッパに伝わり、以後ユーラシア各地に広まりました。

禅宗のお坊さんは、肉や魚などを原則として食べませんので、タンパク質の補給源として豆は貴重なものでした。

こうしてインゲン豆などを広めた隠元弾師は、1673年4月3日に亡くなりました。隠禅師をしのんで、4月3日がインゲン豆の日になりました。

このほかに隠元禅師が日本に伝えたものとして、西瓜(すいか)・蓮根(れんこん)※・孟宗竹(たけのこ)があるようです。精進料理のみならず、和食に多大なる影響を与えたスゴイ人だったのですね。

注:レンコンは奈良時代から食べられていたようですが、日本の在来種はあまり根が太らず、生産性が悪かったようです。おそらく食用に適した改良品種を伝えたということでしょう。

インゲン豆の特徴 必須アミノ酸が採れ、筋トレのおともに!

インゲン豆は栄養価の面からも優れた食材です。

インゲン豆には必須アミノ酸の一つである「リジン」が含まれています。必須アミノ酸にはいろいろな種類があるのですが、このリジンは普段の生活で摂取することが難しい成分です。

リジンは、たんぱく質の吸収を高め、疲れを取り集中力を高める効果があります。このほか、
ダイエットにも効果があり、脂肪燃焼の促進や筋肉合成の促進、筋肉を分解してしまう「カタボリック」という現象を抑制させるといった効果もあります。

筋トレがブームとなって久しいのですが、インゲン豆はおすすめの食材のひとつに挙げられていることが多いです。

このほか、インゲン豆には食物繊維が多く含まれているため、消化のスピードを緩やかにしてくれます。このため腸内環境を整えてくれる効果もあります。インゲン豆はまさに栄養素の宝箱といってもいいでしょう。

白あんの材料になっている白インゲン豆


白あんの材料になっている白インゲン豆のイメージ

緑のインゲン豆、サヤインゲンは夏が旬の食材なので、日ごろはあまり馴染みが無いかもしれません。

実は私たちが一番食べているのは、白インゲン豆かもしれません。特に甘党の人。なぜなら甘納豆や、白あんの材料として使われているからです。

おまんじゅうの皮に隠し味で練り込まれていることもあります。色を付けて、和菓子の「練り切り」の材料にもなります。これ以外にも様々な和菓子のベース材料となっています。



日本橋開通記念日

1911(明治44)年4月3日に、日本橋の架け替えが行われ、現在の姿となりました。日本橋は江戸時代以来すっと木製でしたが、はじめて石橋となりました。耐火性が向上し、増え始めた自動車など交通環境の変化にも対応した最先端の橋になりました。

余談になりますが、開通式の日の天候はすぐれなかったにも関わらず、約100万人もの見物客が押し掛けたといわれており、けがをする人が続出したそうです。

日本橋の歴史 何度も火事にあい、現在19代目


日本橋の歴史 何度も火事にあい、現在19代目のイメージ 浮世絵に描かれた日本橋

日本橋は、江戸時代初期に徳川家康の命を受けて初代の木造橋が架けられました。それ以来、焼失や再建を繰り返し、現在の橋は19代目のものと言われています。

江戸の街は火事が多かったですからね。交通の要衝で重要な日本橋も例外なく燃え移っていたのでしょう。それしても多すぎですが。

日本橋は江戸時代、江戸と各地を結ぶ五街道の起点なっていました。「東海道」「日光街道」「奥州街道」「甲州街道」をつなげる役割を担っていました。

なお、日本橋は現在も同じ役割を担い続けています。日本の国道の起点である「日本国道路元標」が設置され、国道1号をはじめ、いくつもの国道が日本橋を起点としています。

そしてついにこのトピックのテーマでもある石造りの橋に架け替えられることになりました。

木造の橋は、中央が高く両岸から丸く反ったアーチ橋、いわゆる太鼓橋(日本庭園によくみられるあの形の橋です)でした。

石橋になってからは橋脚から橋げたの部分が、石造りのアーチを並べた形にして、強度を高めています。

石造りになった日本橋の完成度は国から評価され、1999年(平成11年)に日本の重要文化財に指定されています。

日本橋の雑学その1 東京の日本橋と大阪の日本橋、この他にも・・・



「日本橋」というと、東京の人はこのトピックの「日本橋」をイメージしますが、大阪の人は、大阪の道頓堀川にかけられている「日本橋」をイメージしますよね。

このふたつの日本橋、漢字は同じですが、読み方が異なります。

東京の日本橋の読み方は「にほんばし」であるのに対し、大阪の日本橋は「にっぽんばし」と異なります。

国名としての「日本」の読み方は「にっぽん」ですから、由緒の正しさという点では「にっぽんばし」であるべきですが・・・・。

東京の初代「日本橋」は、江戸城の築城工事の際に人の異動や物資の運搬のために、川に二本の丸太を架けただけの、いわば仮設橋だったようです。

工事人夫達がいつからか、丸太二本のこの橋を「にほんばし」と呼び、それが正式な橋の名になったそうです。「日本」じゃなくて「二本」からはじまったとは!

一方、福島県の郡山市にも「日本橋」がありました。しかし、読み方は「ひもとばし」です。
郡山市日和田町(ひわだまち)の”日”と本宮市(もとみやし)の”本”を一文字ずつ取って名付けたそうです。

日本橋の雑学その2 日本橋を起点とする国道は7本もある

さきほど、日本橋には日本の国道の起点である「日本国道路元標」が設置され、いくつもの国道の起点となっていると触れました。その数は実に7本。
しかも、日本の国道の起点だけのことはあります。どれも番号が若いエース級の国道ばかりです。

国道1号(東京都中央区日本橋〜大阪府大阪市)806.6km
国道4号(東京都中央区日本橋〜青森県青森市)887.1km
国道6号(東京都中央区日本橋〜宮城県仙台市)442.7km
国道14号(東京都中央区日本橋〜千葉県千葉市)65.0km
国道15号(東京都中央区日本橋〜神奈川県横浜市)29.6km
国道17号(東京都中央区日本橋〜新潟県新潟市)461.9km
国道20号(東京都中央区日本橋〜長野県塩尻市)233.2km

日本橋の雑学その3 日本橋を覆っている首都高が無くなる?


日本橋を覆う首都高速道路の高架橋

首都高速道路の都心部分は、1964年の東京オリンピックに間に合わせるために、時間と用地が無いなかで建設されました。

このため、川や運河の上に建設されていることろも多いのですが、よりによって日本橋の上までも・・・、という意見が建設当初からありました。

高度経済成長期は川の汚染もひどく、川に背を向けて街づくりをしてきたのでさほど問題にはならなかったのですが、水質が改善してくると水辺空間の良さが見直されるようになりました。

隅田川の川沿いやお台場、横浜のみなとみらい地区などが好例ですね。すると、日本橋のあるあたりは何だか取り残されたような状態になってきました。

そこに、首都高の老朽化に伴う建て替えの話が出てきました。このまま高架橋を架け替えるのか、それとも地下にトンネルを掘って高架橋を撤去し、水辺空間として整備するのか。

そして後者が選ばれました。費用がベラボウに掛かるので通行料金を払っている利用者からしてみると微妙なところですが。

しかし、この地域一帯が魅力的な地区に生まれ変わるのであれば、国際都市・東京としての顔がひとつ生まれることで、街の魅力は高まりますから、建設費以外の経済効果も大きいでしょう。何よりも、歴史ある地域ですから、都市の再生という意味でも意義は大きいのでしょう。