城の日の由来は語呂合わせから
4月6日は4(し)6(ろ)の語呂合わせから、「城の日」として制定されました。
もともとは財団法人日本城郭協会がこの日を「城の記念日」としていましたが、後に日本百名城の一つに数えられている‶姫路城〟の地元、兵庫県姫路市が1990年に「城の日」と名前を変えたため、4月6日は「城の日」として親しまれるようになりました。
記念日を制定した当初は、姫路市は観光振興のために、4月6日を挟んだ一週間、施設の無料開放などを行っていました。
しかし、4月上旬は春休み、桜の季節という事もあり、観光客が押し寄せる事もありました。しばしば、入場制限まで行われていたそうです。
このような問題もふまえて、2007(平成19)年以降は姫路城が世界遺産に登録された12月11日を、姫路市独自の「城の日」として制定しました。
したがって、姫路城とその周辺の施設の無料開放も12月11日に変更になっていますのでご注意を!
現在では、姫路城以外にも動物園や美術館などでも無料開放等のイベントが行われています。姫路城を観るだけでなく、周辺の施設もいろいろと訪れたくなってしまいますね。
なお、姫路城以外のお城では、引き続き、例年4月6日やその前後に無料開放やイベントが行われているところがあります。
お城といえば天守閣。天守閣の歴史や役割

「お城」いう言葉でイメージするのはやはり天守閣だと思います。この「天守閣」(「天守」ともいいます)の始まりは織田信長が築城した‶安土城〟が始まりだと言われています。
これまでは、戦の為の軍事拠点としての役割が中心だった城郭が、信長が、豪華で贅を尽くした天守閣を建てた事によって、「権威の象徴」としての役割も果たすようになりました。
信長がこういった役割を持った天守閣を造ってから、全国の大名も競って自分の力を誇示するように、天守閣を持ったお城を造るようになりました。織田信長の家臣であった豊臣秀吉も、たいへん豪華な天守閣を持った大阪城を築城しました。
大阪城の五重の天守閣は、当時の建築技術を目いっぱい使って造られました。城の瓦、装飾などには金銀をふんだんに使い飾り付け、見物に来た客を驚かせたと言われています。
「城の象徴という事は、偉い人達(大名、武将等)はそこに住んでいたの?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は違います。
天守閣に住んでいたのは、最初に天守閣を造った織田信長だけだったのではないか、という説もあるほどです※。
参考:城びと
大名たちは「御殿」と呼ばれる場所に住むことが一般的で、そこに住まいながら国を取り仕切っていました。
江戸時代以降のお城である姫路城や彦根城の天守閣の写真を見てみると、外観は国宝に値するほど立派なのですが、中は寒々としており、木の柱などが剥き出しになっています。
床は板張りで、ふすまなど内装も質素な造りです。
江戸時代以降は戦も少なくなり、日常では物置として、いざという時の為の武器庫として使われていたようです。
また、すべてのお城に天守閣があったのかというと、そうでもありません。
むしろ天守閣があるお城の方がめずらしいと言えます。かつて数百基以上あった天守閣ですが、今はたった12基しか残っていません。それはなぜでしょうか?
現存する天守閣は12城
「現存天守」とは江戸時代(1603年~1868年)以前に造られ、現在も存在する天守のことを言います。
現存天守を挙げますと
・弘前城(青森県)
・松本城(長野県)
・丸岡城(福井県)
・犬山城(愛知県)
・彦根城(滋賀県)
・姫路城(兵庫県)
・松江城(島根県)
・備中松山城(岡山県)
・丸亀城(香川県)
・伊予松山城(愛媛県)
・宇和島城(愛媛県)
・高知城(高知県)
の12城となります。
それでは、この中で一番古い天守はどの城のものでしょうか?
今まで「最古の現存天守」と言われていたのは丸岡城(福井県)だったのですが、2019年に電撃的なニュースが世を騒がせました。
天正4年(1576年)に織田信長が柴田勝豊に築かせたという丸岡城。文献資料や天守の造りから最古であるという説が有力であるとされていました。
この「丸岡城」がある坂井市は、2015年からいつ頃お城が作られたのかを特定すべく、調査を始めました。
結果として、柱に使われている気の伐採時期が1620年代後半以降だったことが判明したのです。これにより、天正4年(1576年)建築説は消え去りました。
参考:産経新聞「現存天守「最古」は? どこも名乗りをあげない複雑な事情」
それではどこが最古の現存天守なのかというと……今の所はっきりしたことはわかっていないのです。
有力な説としては、長野県にある松本城が挙げられます。この城は石川数正と康長父子によって、文禄2~3年(1593年~1594年)に建てられたという説があります。
この時期に木が大量に伐採されたという文献が残っているため、その木材を城を建てるのに使ったのではないかというのも最古の天守であると言われる所以です。
しかし、こちらの調査は科学的なものではないため、「絶対に正しい!」とはいえません。これから研究が進むにつれ説が覆る可能性もあります。
なかなか「最古の現存天守」を見つけ出すのは難しいようですね。
国宝5城はどのお城?
現存天守のうち、国宝として指定されているのは、
・姫路城(兵庫県)
・彦根城(滋賀県)
・犬山城(愛知県)
・松本城(長野県)
・松江城(島根県)
の5つです。
これらをまとめて「国宝5城」と言います。
人気の城ランキングの1位常連の姫路城

この中で1番人気なのが姫路城。
「旅好きが選ぶ!日本人に人気の城ランキング2020(8月13日)※」では、姫路城は5年連続で1位となっています。
出典:旬刊旅行新聞
姫路城の始まりは、まず1333年(鎌倉時代)に「姫山城」として砦が造られ1346年(室町時代)にそこに本格的な城を築城したこととされています。
その後、安土桃山時代に豊臣秀吉が天守閣を造り、名称も「姫路城」と改名しました。
自然災害や第二次世界大戦による空襲を受けますが、奇跡的に今でも残っています。
姫路城は、大天守を始めに城の外壁や屋根瓦の目地が白漆喰(しろしっくい)で塗装され、白鷺(白いサギの総称)のように見える事から、親しみを込めて「白鷺城」とも呼ばれています。
信長も秀吉が見た景色が今も楽しめる犬山城

犬山城は、愛知県の犬山市にあるお城です。最寄り駅は犬山遊園駅で、そこから徒歩15分ほどで行くことができます。
犬山城の魅力といえば現存天守!一時期は日本最古ではないかとされているほど古くからあり、望楼天守と呼ばれる天守となっています。三重4階地下2階で、その高さは約19m。
望楼型天守とは、1階もしくは2階建ての大きな入母屋造りの上に、望楼(ぼうろう)と呼ばれる物見を乗せたものです。
犬山城はその白く美しい巣が方から別名‶白帝(はくてい)城〟とも呼ばれています。
なぜそのような名で親しまれているかというと、萩生徂徠が犬山城の美しい姿を李白の漢詩の中にある「白帝」という言葉を用いて呼び、次第に広まっていったことがきっかけだそう。
実は犬山城は日本で唯一個人が所有していた珍しいお城なのです!
廃藩置県により天守以外の建物は全て破壊され、天守は県所有のものとなってしまいました。しかし明治24(1891)年の濃尾大地震で天守が半壊してしまい、その修繕を行う事を条件に、所有権は元の城主だった成瀬家のものとなりました。
現在はどうなっているかというと、成瀬家の12代目城主の長女、成瀬敦子氏が理事長を務めている公益財団法人の「犬山城白帝文庫」に移されています。お城を後世に残すための財団法人化でしたが、「国宝」ゆえに話を進めるのに、かなりの苦労をされたそうです。
そんな犬山城の見どころはどこでしょうか?
例えば、天守の東方にある御神木の「大杉様」。これは犬山城築城からの御神木です。
天守閣と同じくらいの高さがあり(枯れる前は24m)、落雷や台風などの自然災害からお城を守った木として大切に祀られています。
そして第2のポイントは、木造建築の天守である事。建築当時の木材がそのまま残っているので、その当時の人々の生活をイメージしながら見学することが出来ます。
天守のてっぺんからの眺めは最高で、穏やかに流れる木曽川と城下町が広がります。信長もこの天守閣からの景色を眺めたという記録があるとか。秀吉も小牧長久手の戦いの際に入城しています。もしかすると、周辺の地形や城、砦(とりで)の配置を確認するために、天守閣から周りを眺めていたのかもしれません。
また、城下町も趣のある街並みとなっていて、食べ歩きにも人気のお店がたくさんありますので、旅行者好きに方には一度はぜひ訪れてもらいたいです!そうでない方も、名古屋周辺にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。1日楽しめますよ。