752(天平勝宝4)年4月9日(新暦:5月26日)、奈良・東大寺で「開眼供養会」と呼ばれる、大仏に魂を入れる儀式が行われました。このことにちなんで4月9日は「大仏の日」になりました。
周辺も含め、天平の時代を感じる趣で、修学旅行でも定番の観光名所になっています。東大寺や奈良の大仏のことを知れば知るほど、そのスケールや当時の技術に驚かされます。
奈良・東大寺の大仏さまの基本データ
まずは、大仏さまの正式名称は毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)と言います。そんな名前がついていたなんて、社会の授業で習ったような、習わなかったような・・・。それほど「大仏」という言葉のインパクトは強いですね。
さて、とにかくその大きさ注目される大仏さま。その高さは約14.7メートル、顔の長さは約5メートル、目の長さは約1メートル、耳は約2.5メートルにもなります。
ひとつひとつがデカい!
現代の技術でも作り上げるのは大変だと思うのに、ましてや当時の技術でここまで立派な大仏さまを作り上げたというのもスゴいことです。
他にも驚かされるのは、大仏さまを作った費用です。当時の国家予算の3倍つまり現在の金額で表すと約4700億円にもなるそうです。よく財政が破たんしなかったなと、ある意味感心します。
さらに大仏さま、大仏殿の制作には7年、その後の仕上げに3〜5年の歳月がかかっています。
冒頭にお話した「開眼供養会」は作りかけの状態で行われました。この会のメインイベントは大仏さまに眼を入れることで魂を入れるというところですが、「仏作って魂入れず」の真逆!
「魂入れたが、大仏さまはいまだ完成せず」というあたり、スケールの大きい大仏さまらしくて素敵です。
現実問題として、ここまで慌てたのは、聖武天皇が病気だったので早く完成してお披露目したかったという説があります。
なお、この工事に携わった人数も延べ260万人と伝えられています。とにかく全てが規格外!

次は、大仏さまのポーズに注目してみましょう。右手は前に手の平をこちらに向けています。左手は膝の上に置かれています。
これには意味があり、右手は施無畏印(せむいいん)と言って、私を恐れることはないですよ~という安心感や、私は来るものを受け入れるという意味を持ちます。
左手は与願印(よがんいん)と言って、願いを叶えると言う意味が込められています。
この意味を知ると大仏さまの印象も「でかい!」から「有難い!」に変わるかもしれません。
神頼み!人々の願いが詰まった集大成
そもそも、なぜあれほど大規模な大仏さまを作ろうとしたのか。
聖武天皇が即位してからと言うもの自然災害や伝染病(天然痘)、一部の皇族や貴族からの反乱など、社会的に不安定な状態が続いたためです。
そこで、仏教の力を借りて国を守ろうとした聖武天皇、大きな仏さまを作ると言う発想にたどり着き、ありったけの国力を奈良に集めて、大仏さま作りに集中させることになりました。
困った時の神頼み(仏頼み)ではありますが、よく国が傾かなかったな・・・と。
東大寺と大仏の雑学・トリビア

「大仏」に規格があった!
大きい仏像の通称として「大仏」と呼ばれているわけですが、業界(?)では、一般的に「丈六仏(じょうろくぶつ)」より大きい仏像が「大仏」と呼ばれるそうです。
丈六仏というのは、お釈迦さまの身長が1丈6尺(4.85m)あったという伝説から、その高さで作られた仏像のことを指します。
・・・ん。伝説といえどもお釈迦さま、ちょっと大きすぎやしませんかね?
それはともかく、「大仏」と呼ぶ根拠となる規格がきちんと整えられているのですね。
東大寺に宗派ってあるの?
東大寺は、仏教の一つである華厳宗と言う宗派に属しています。
華厳宗は、日本に伝わってきた仏教宗派の中で最も古い時代に伝わったとされる宗派です。
日本に伝わった仏教は、信じていれば救われると言った人々の救いを理念とする大乗仏教です。その中でも華厳宗の思想には、この世界はとてつもなく広大な宇宙のような場所であり、その中心に奈良の大仏さまがいらっしゃり教えてを説き、人々を救い続けているという考え方です。
奈良の大仏さまの正式名称である毘盧舎那仏には、十方世界をあまねく照らす仏、光輝く仏と言う意味があります。
奈良の大仏さまは、社会的に不安定だった世の中を照らし出し、人々を救い続ける太陽のような存在だと崇められていたのです。
東大寺と大仏さまは2度再建されている
東大寺の大仏さまが祀られている大仏殿は、2度も火事に見舞われています。平安時代と戦国時代の戦に巻き込まれてしまいました。
東大寺や大仏さまが崩れてしまっても、また建て直そうと修復に熱い思いをかけた中心人物がいます。
1度目は重源上人、2度目は公慶上人でした。二人とも民衆からのたくさんの協力を得られ、それぞれ源頼朝や、江戸幕府と言った強力なバックアップもあったことから、修復作業に取り掛かることができました。
2度の焼失を乗り越え再建され、ついには世界遺産に登録された東大寺と大仏さま。
この姿を今の時代にも私たちが拝めることができるのは、建設を考えた聖武天皇だけでなく、仏教の力を信じることで人々救われると勧進させた二人の上人、諦めず工事に携わった人々など、多くの人の力の集大成だと思います。
すると。東大寺や奈良の大仏さまが相当なパワースポットだという話もよくわかります。
大仏さまの掃除はスケールも大きい
あんなに大きな仏さまは、いったいどうやって掃除をして状態を保っているのでしょうか。
大仏さまのお身体を清掃することを「お身拭き」と言うそうです。お身拭きも行事化されており、入堂し住職達が掃除をしている様子を見ることができます。
このお身拭きですが、年に一度しか行われていないのですが掃除に参加する人数は120人にも及ぶそうです。
このビッグイベントは、毎年8月7日の午前7時から行われ、砂ぼこりが多かった頃には、バケツ200杯近くもほこりが取れたそうです。
現在は参道が石畳に改装されたためバケツ数十杯で収まっている(?)とのことです。大仏さまの大きさが大きさだけに掃除のスケールも桁違いです。
H3 大仏さまの顔が大きすぎる気がするわけ
大仏さまの第一印象として、全身もですが、とりわけお顔が大きいと感じる人が多いのではないでしょうか。
これは、大仏さまの存在感を出すため遠近法を利用して作られたからだとされています。
制作当初から大きく作ることが計画されていた大仏さま。人々が下から見上げた時を想定して作られています。等身で作ると顔が遠くなり、小さく見えてしまうのであえて4、5等身くらいのバランスで作られているそうです。
他にも、天井に近い部分や奥の部分の装飾を大きく作ることで、同じ大きさに見えるように作られているそうです。
「大きい」だけでなく、視覚的な「安定感」を作り出すことで、安心感を醸し出し、人々の願いをどんと受け止めてもらえるような印象を作り出しています。計算された芸術ですね。
H3 大仏さまの「おでこ」の「ほくろ」らしきものは「毛」だった!
大仏さまの顔を思い浮かべるとおでこにほくろのようなものがありますよね。
これは、白毫(びゃくごう)と呼ばれる白毛で、右回りに渦を巻きおでこに張り付いている柔らかな白毛です。世界の隅々まで光を放ち明るく照らすものだそうです。
大仏さまの性別は?男性?女性?
大仏さまの性別ですが、気にしたこともなければ、いざ尋ねられても、お顔だけでは判断が付きにくいものがあります。お釈迦さまなら、元は実在した人物ですから「男性」だと判りますが。
大仏さまは大日如来様なので性別はありません。性別がないわけではなく、「性別を超越」していると言う考え方だそうです。
H3 有名な「柱くぐり」。なぜあの柱にだけ穴が開いている?
大仏さまの鼻の穴と同じ大きさと言われる穴が、一つの柱に開けられています。
この穴をくぐると無病息災のご利益があるとも言われ、修学旅行生や子連れの観光客で行列ができることもあるそうです。
この柱に穴が開いているのは観光客を呼び寄せるためではありません。この柱が位置しているのは丁度大仏殿の鬼門に当たり、邪気が逃げて行きやすくなるようにと開けられたものだそうです。
穴の大きさは縦37センチ、横30センチと小さいため子供がくぐるのでやっとですね。大人がチャレンジして抜け出せなくなったら助けてもらえるのでしょうか。それとも文字通り人柱にされる!?