衣料通販ZOZOの創業者・前澤友作氏が、イーロン・マスク氏の宇宙開発企業スペースX社の宇宙旅行を予定していることは有名ですが、今度は同行者を8名募集するということでまた話題になりました。
費用はかなり高額ではあるものの、一民間人でも宇宙に旅立てる時代が来たということで、宇宙が少しだけ身近になりつつある昨今ですが・・・。
世界宇宙旅行の日の由来
1961年4月12日、ちょうど60年前のこの日に世界で初めて、初めて人を乗せた人工衛星が打ち上げられました。人類が初めて大気圏から外に出て、つまり宇宙空間に出て、地球を周回して帰還することに成功しました。
この有人宇宙飛行を成功させたのは、当時のソビエト連邦。人工衛星の名前は「ヴォストーク1号」です。このことが記念され「世界宇宙飛行の日」に制定されました。
ユーリ・ガガーリンの名言「地球は青かった」はウソ?

ユーリ・ガガーリンで宇宙飛行をした時は、27才だったそうです。地球を1時間48分かけて一周し、初めて地球を目にした彼は、「地球は青かった」と言う名言を残しています。
この「地球は青かった」ですが、彼は管制官とのやり取りで、「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」いう言葉を残しています。
意図的に意訳したのか、民間にロシア語の翻訳者が少なかったのか、日本の各新聞はこの言葉を「地球は青かった」と報じました。以後、日本ではこの言葉が独り歩きして今に至ります。
彼は、この言葉の後に、「しかし、どこを見回しても神はいなかった」と伝えています。実は、世界的にはこの言葉の方が有名です。多くのキリスト教徒にとって「神」は身近で、かつ重要なテーマですからね。
今でこそ、青く輝く地球の姿は当たり前でもあり、様々な場面で目にすることが出来ますが、誰も目にしたことがなかったその姿を見たガガーリンの感動はどれほどのものだったのでしょうか。
宇宙開発に巻き込まれた犬「ライカ」の話
ロケットの中に乗っていたのは、人だけではなく犬やチンパンジーも実験に参加していたそうです。
私たちが使用している薬やワクチンも、まずは動物で試験して、問題がなければ人間に治験に進むという流れはご存知のかと思います。
これと同様に、未知の世界である宇宙への送り出しや、宇宙区間での滞在も、まずは動物実験からはじまりました。20頭以上がロケットに乗っていたことが分かっており、無事に帰還した犬もいれば、命を落とした犬もいます。
「ライカ」と名付けられた犬はスプートニク2号に乗り宇宙線の中で死にました。この「ライカ」が特に有名になったのは、この実験が元々片道飛行で計画されており、そもそも生還させることが計画されていなかったからです。当時は非難が沸き起こりました。
ライバルのアメリカも4月12日は宇宙の日

第二次世界大戦後の冷戦の真っ只中、米ソは軍事面の競争だけでなく、宇宙開発においてもしのぎを削っていました。
このソビエトのニュースを聞いて、アメリカは衝撃を受けます。宇宙開発は自国が一番と信じて豪語してきたアメリカを押しのけて、またもソ連がリードしたのです。
史上初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功に続いて、2連敗です。この屈辱をバネにアメリカはアポロ計画に突き進みます。
そして、1969年7月、アポロ11号により2名の宇宙飛行士が人類史上初めて月面着陸に成功しました。
この計画以来50年近く人類は月に行っていません。いかに当時のアメリカの熱の入れようがすごかったかを物語っています。
さて、アポロ計画や当時のロケットは費用が掛かり過ぎました。また宇宙開発の方向性も宇宙に「滞在する」という面に移っていきました。
これを実現したのが、スペースシャトル計画です。
ソ連が初の有人宇宙飛行を実現した20年後の1981年4月12日、アメリカはスペースシャトルの打ち上げに成功させました。これにより奇しくも4月12日は、アメリカにとっても記念すべき世界宇宙旅行の日となりました。
さて、このスペースシャトルが、これまでロケットと大きく異なったのが、何度も繰り返し使用出来ると言う点です。
補助燃料タンクなど一部使い捨てもありますが、ロケットにとって最も重要かつ、高価な推進装置や制御装置などをそのまま繰り返し使用することで、費用を抑えられるだろうと期待をもって受け止められました。(実際にはコスト削減効果は発揮できず、これが引退の理由のひとつにもなるのですが・・・)
なお、スペースシャトルの運用が終了したのは、2011年7月でアトランティス号が最終飛行となっています。
それまでに何度も打ち上げられたスペースシャトルですが、ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げから補修、国際宇宙ステーションの建設機材や資材、宇宙飛行士や滞在に必要となる物資の輸送を行うなど大きな役割を果たしてきました。
日本も4月12日に日本初のロケット実験に成功
さらに奇遇なことに日本にとっても4月12日は、宇宙にまつわる大切な記念日です。1955年4月12日、東京の国分寺で初めてロケット実験が行われたのがこの日です。
小惑星探査機、初代はやぶさの目的地は「イトカワ」という小惑星でした。このイトカワはこのロケット実験を成功させるなど、日本の宇宙開発の父、糸川英夫博士らによって成し遂げられました。
ここで行われた実験に使用されたのは、長さ23センチ重さ200グラムの小さなペンシルロケットでした。
糸川博士は、戦前は飛行機の技術者でした。終戦後、飛行機の研究が禁止され、失意のなか「脳波の診断器」の研究を進めていました。
この実績が認められアメリカ・シカゴ大学で講義をすることになりました。この滞在中、大学の図書館で「スペース・メディスン(宇宙医学)」という本に目が止まります。
糸川博士は「アメリカは宇宙に人を送ろうとしている」と感じ、いてもたってもいられなくなり、予定を早め帰国しロケットの研究を始めました。
予算も資材も十分でなく、そもそも、ロケットの技術は軍事機密でもあり、米国からの技術の提供も無いなかでの開発でした。
それから50年以上たった今、日本のロケット技術は世界のトップクラスにいます。
小惑星探査機「はやぶさ」など、探査機による新しい発見や、気象衛星「ひまわり」による防災への貢献など、先人の熱意と努力が、現在の私たちの生活をより良いものにしてくれています。
宇宙に行けないなら「人工流れ星」に願いを託す!?

宇宙飛行士のいる国際宇宙ステーションの軌道は高度約400km。東京から名古屋を超え、関ケ原ぐらいの距離にあたります。
水平距離でみると、想像以上に近いことに意外な気がします。それでも、誰もが宇宙旅行に行くことができる日はまだ遠い未来のことでしょう。
そんな中で、人工衛星に小さな粒を詰め込んで宇宙空間でその粒をすることで人工的に流れ星を作り出すと言う夢のような実験が繰り返し行われたているそうです。
聞いただけでワクワクする話ですよね。この開発のきっかけは、現在、宇宙ベンチャー企業代表を務める岡島礼奈さんが、2001年に「しし座流星群」を見たとき、想像していたものよりもスケールが小さく感じたからだそうです。
そこで岡島さんは、人工的に流れ星をつくり出せば、人々が想像するような流れ星が作れるのではないかと、会社を設立し実験に取り組んでいます。
仕組みは、小さな粒を宇宙空間で放出し、大気圏で粒が燃え尽きることで人工的に流れ星を作り出すと言うものです。燃え方を調整することで、光っている時間を長くできるそうです。これなら願い事を3回言えそうですよね。
まだまだ未知の世界が広がる宇宙で、私たちの願いを人工流れ星に託してみるのも夢がある話ではないでしょうか。