今日は何の日? 4月18日は発明の日 由来と意味、意外と知られていない日本人の発明

  • 2021年3月27日
  • 4月


皆さんは「発明」と聞いて何をイメージしますか?

たまにニュースで「中高生が発明をした!」というのを耳にしますが、あまり身近ではありませんよね。私もエジソンくらいしか思い浮かびません。

そんな「発明」にもちゃんと記念日がありました。今回は、4月18日「発明の日」についてのお話です。

発明の日の由来と意味

発明の日は、1885(明治18)年4月18日に初代特許庁長官の高橋是清らによって、「専売特許条例」という法律が公布されたことが由来です。

この「専売特許条例」は現在の「特許法」の元となる法律です。

そして、1954(昭和29)年4月18日に発明協会が「発明の日」を記念日として制定しました。特許や意匠、商標などの産業財産権制度を広め、伝えていくことを目的としています。

発明王エジソンが一日三食の習慣をつくった?


発明王エジソンが一日三食の習慣をつくった?のイメージ画像 エジソンと発熱電球の写真

今では、当たり前すぎてだれも疑わない、一日三食という食事のスタイル。昔は、日本も西洋も一日二食だったこともよく知られています。ではいつごろ、二食から三食に変わっていったのでしょうか。

この習慣を変えてしまったのが、発明王エジソンだともいわれています。

エジソンはあるインタビューの中で、「どうしてそんなに素晴らしい発明が次々と考えられるのか?」と尋ねられた際に、「私は一日三食食べているからだ。」と答えたそうです。

そのインタビューを聞いた人々は、エジソンにあやかろうとして、これまで一日二食だったのを三食とるようになり、それが次第に一日三食という習慣として定着しました。

しかし、エジソンがこのように言ったのは、以前に発明したパン焼き用のトースターの売り上げがあまり良くなく、みんなが一日三食食べるようになれば売り上げが伸びるのではないか、と考えたからだと言われています。

エジソンは発明家としてだけではなく、特許制度を駆使した実業家の面もすごかったというのはよく知られているところですが、まさか、マーケティングにも長けていたとは・・・驚きです。



日本人による開発・発明 メジャーなモノから意外なモノまで

エジソンの白熱電球や蓄音機の発明など、発明は欧米人の独壇場のようなイメージがありますが、実は日本人が発明したものもたくさんあります。

私たちの身近にあるモノばかりですので面白いですよ。

インスタントラーメン 世界の食生活を変えた発明

インスタントラーメンは1958(昭和33)年に日清食品の創業者である安藤百福が開発したモノで、日本初のインスタントラーメンは、あのチキンラーメンです。

安藤はある日の夕食に出された天ぷらをヒントに「油の熱で食品を乾かす」という方法を考案し、それによりインスタントラーメンが誕生しました。

世界ラーメン協会によると、2013年世界の消費量は約1055億食だそうです。世界の食を



カラオケ 特許を取らず大金を逃した?

カラオケも日本で発明されたモノで、日本で進化を遂げたモノです。
英語でもカラオケのことは「Karaoke」というくらい、世界中に浸透しています。

カラオケという言葉は「空オーケストラ」を略してできた言葉で井上大佑によって発明されました。

カラオケが日本で初登場したのは、1971(昭和46)年ですが、当時は5分で100円という値段だったそうです。

井上氏は、既存の物を組み合わせた機械だったので、特許の申請など思いもよらなかったようです。一説によると、100億円ともいわれる特許料を逃したとか。

それについても井上氏は「後悔はしていない。もし大金を手にしていたら、バブル期の投資でばく大な借金を抱えていた」と笑って答えたそう。

なお、米誌「TIME」の「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれたこともありました。隠れた偉人ですね。

乾電池 日露戦争の勝利に貢献!


乾電池 日露戦争の勝利に貢献!のイメージ画像 屋井乾電池の写真

乾電池は1889(明治22)年に屋井先蔵という人が発明しました。乾電池が日本で発明されたと知っている人はかなり少ないのではないでしょうか。

屋井は、周りに正確な時計がひとつもなかったために大学受験に遅刻してしまい、受験できなかったことから、電気で正確に時を刻む「連続電気時計」を開発します。

連続電気時計には、当時普及していた「湿電池」とよばれる液体電池がつかわれていましたが、その湿電池は「冬になると中の液体が凍って使えなくなる。」、「ひんぱんに液漏れが起こる。」といった欠点がありました。

そこで、屋井は液体が凍らず、液漏れも起こりにくい電池を発明し、「湿電池」に対して「乾電池」と名付けました。

しかし、当時の日本では電気製品が普及しておらず、屋井の乾電池はあまり売れませんでした。

屋井に転機が訪れたのは、1894(明治27)年から始まった日清戦争です。

極寒の満州で照明や通信機器をつかうために、液体が凍りにくい乾電池が注目され、大活躍しました。

終戦後、新聞で「日本がこの戦争に勝利したのは、屋井が発明した乾電池のおかげ」と大きく取り上げられ、知名度と信頼度が大きく上がったことで、ビジネスでも大成功をおさめます。

そして、数年後には屋井は「乾電池王」と呼ばれるまでになりました。

一般的に遅刻は悪とされていますが、屋井のエピソードを知ると「遅刻も悪くないかも」と思ってしまいます。

メガネの「鼻あて」 欧米人には考えもつかなかった?


メガネの「鼻あて」 欧米人には考えもつかなかった?のイメージ写真

メガネそのものが発明されたのは、13世紀のドイツです。しかし、メガネの「鼻あて」が発明されたのは日本です。

メガネが日本に伝わった戦国時代ですが、当時のメガネはフレームの両側に穴を開け、紐を通して耳にかける仕組みでした。もちろん鼻あてはありません。

しかし、このメガネを鼻の低い日本人がかけると、どうしてもメガネのレンズがまつげにあたって、まさに目障り。

そこで、レンズとまつげの距離をとるため、現在のように一対の鼻あてを付けるようになったそうです。まつげが触れないようになっただけでなく、メガネが顔のちょうどいい位置に固定しやすいことが分かると、ヨーロッパでもマネをされるようになりました。

「鼻が低いから。」という理由がなんだか悲しい気もしますが、今では世界中のフレームで鼻あてついています。