4月に入ってはやくも4日目。入学式や入社式など新しい生活がはじまった方も多いかと思います。
今日、4月4日は「あんぱんの日」。2001年4月4日に日本記念日協会に正式登録された記念日です。さっそくどのような日なのかを見ていきましょう。
「あんぱんの日」の由来。明治天皇に献上したらあまりのおいしさに驚いた日
「あんぱんの日」は、1875(明治8)年4月4日、東京向島の水戸藩下屋敷でお花見をされる明治天皇と昭憲皇太后(当時は皇后)お茶菓子として、あの有名な木村屋の「あんぱん」が献上されたとにちなみます。
献上したのは、当時明治天皇に仕えていた山岡鉄舟。江戸無血開城の立役者の一人として知られている人です。
山岡鉄舟は、以前から、木村屋のあんぱんの大ファンだったようで、毎日のように食べていたといわれています。そこで、明治天皇のお花見の際に、彼のイチオシの木村屋のあんぱんが献上されることになりました。

その際、木村屋の創業者である木村安兵衛とその息子たちは、春を表現するため、奈良県にある吉野山の桜の塩漬けをあんぱんの真ん中に配し、献上しました。
この木村屋の特製あんぱんを食べた明治天皇は、そのおいしさに驚き、「引き続き納めるように」と木村屋に命じたそうです。
特に皇后はたいそう気に入られたそうで、毎年献上することが決まります。
このお花見以降、真ん中に桜の塩漬けが乗った木村屋のあんぱんは、宮内庁御用達になりました。
あんぱんの歴史と由来。文明開化とともに

それでは、このあんぱん、一体いつごろ誕生したのでしょうか。
西洋の食べ物であるパンが日本に伝わったのは、安土桃山時代。ポルトガル人宣教師によって伝えられました。
しかし、当時のパンは固くてパサパサしており、米や玄米を主食としていた日本人にはあまり受け入れられませんでした。
このため江戸時代には特に普及することはありませんでした。
転機は訪れたのは1869(明治2)年。木村屋の創業者である木村安兵衛が文英堂(のちの木村屋)というパン屋を開店したことで日本人の好みに合うパンが生まれました。
木村安兵衛は士族の出身。明治維新の際に士族としての特権を失い商売の道に入りました。
時は文明開化、西洋の文化が広まってきたことから、安兵衛はパンを日本に広めようと考えました。
しかし、今までの固いパンのままでは、日本人に受け入れられることは難しいと考えたのでしょう。そこで、安兵衛はなんとか柔らかいパンを作ろうと試行錯誤を重ねた末、酒まんじゅうに使う酒種を使ってパンをつくりあげました。
酒まんじゅうにあんこが合うのなら、このパンにもあんこが合うだろう。出来上がった新しいパンの中にあんこを包みます。
今も木村屋で売られている「酒種桜あんぱん」はこうして生まれました。
あんぱんにゴマやケシの実がついているのは何故?「へそ」があるのは?
あんぱんにはゴマやケシの実がついているものがありますよね。なんとなく「和」の雰囲気を出すためだと思っていましたが、これにはちゃんとした意味があります。
実は、これも木村屋が由来で、あんぱんの中身がつぶあんかこしあんかを見分けるため、つぶあんにはゴマを、こしあんにはケシの実をのせたのが始まりだとされています。
その後、ほかのお店でも木村屋を真似てあんぱんにゴマやケシの実を乗せるようになったそうです。
また、真ん中にくぼみがある、いわゆる「へそ」があるものも見かけます。これには、いくつか理由があります。
最も有名なのは、木村屋が1897(明治30)年頃に販売をはじめた「へそぱん」です。
この「へそぱん」は、もともと明治天皇に献上した桜の乗ったあんぱんと同じものでしたが、木村屋が「天皇陛下と同じものを売るのは畏れ多い」と考え、桜を除き、へそだけを残して販売したそうです。
そのほかの理由としては、あんぱんに空洞ができないようにするため、あんぱんの火通りを良くするため、外から見てあんぱんの中身(つぶあんかこしあんか)が分かるようにするため、などいろいろな理由があります。
いろいろ変わり種「あんぱん」
あんぱんはつぶあんやこしあん、白あんが入ったものが王道ですよね。
しかし、一風変わったあんぱんもありますので、ご紹介します。お好みのあんぱんが見つかるといいですね。
清水製パン(富山県)のヒスイパン

「ヒスイパンって何?あんぱんじゃないの?」と思われた方もいるかもしれませんが、立派なあんぱんです。
ヒスイパンはあんぱんの表面に緑色のようかんが塗られているもので、その色や上から見た姿はヒスイそのもの。
清水製パンは富山県にあるので、訪れた際はぜひ味わってみてください。
リンク:清水製パン公式ウェブサイト(オンラインショップもあります)
横浜アンパンマンこどもミュージアム&モールのアンパンマン
アンパンマンを抜きにして、あんぱんは語れません。
横浜アンパンマンこどもミュージアムにある、ジャムおじさんのパン工場で販売されているアンパンマンは、北海道産のあずきを使ったつぶあんだそうです。
このジャムおじさんのパン工場では、アンパンマンの他にもたくさんのキャラクターのパンがあるので、見ているだけでも楽しくなりますよ。
ドキンちゃんとバイキンマンは。果たして食べてもイイものなのかという疑問はさておき・・・。
メイカセブンの薄皮あんぱん
「あんぱんは皮より中身のあんが好き。」という方はこんなあんぱんはいかがでしょう。
東京の大島にあるメイカセブンでは、生地の厚さ3ミリという超薄皮のあんぱんが販売されています。
もはやあんぱんを食べているというより、あんこを食べている気分になれますね。
リンク:メイカセブン公式ウェブサイト(オンラインショップもあります)
菓子司中島屋(静岡県森町)のあんぱん饅頭

静岡県で「お菓子の町」として知られる遠州森町にある、老舗和菓子屋の中島屋では、あんぱん饅頭を味わうことができます。
見た目はあんぱんのようですが、食べてみると、とてもしっとり、もっちりとしていて饅頭のようです。
サイズも饅頭くらいの大きさで、ころころとしていてかわいいですよ。
下鴨茶寮(京都)の食パン型マーブルあんぱん
京都にある下鴨茶寮で販売されているあんぱんは、なんと食パン型です。
酒種で仕込まれたパン生地に丹波大納言のつぶあんがマーブル状に練りこまれています。
プレゼントとして贈ることもできるそうです。とてもインパクトがありそうですね。
あんぱんから国民的ヒーローが生まれた!アンパンマン誕生秘話
あんぱんという身近なおやつがヒーローのモチーフになっている「アンパンマン」。冷静に考えると、その斬新さというか、ぶっ飛んだアイデアに驚かされます。
アンパンマンの作者、やなせたかし氏がどのような思いを込めてアンパンマンを生み出したのかを掘り下げていきたいと思います。
アンパンマンが最初に登場したのは1969(昭和44)年、大人向けの読み物の一つとして雑誌で連載が始まりました。なんとアンパンマンが子ども向けでは無かったとは!
初代のアンパンマンは太った普通の人間のおじさんの姿をしていて、飢えた子供たちにあんぱんを配る、というお話でした。
その後、1973(昭和48)年に子供向け絵本として出版され大人気となりました。
ここでは、アンパンマンは普通のおじさんから、彼自身の頭が食べられるあんぱんでできていて、空を飛び、飢えた子どもたちに自分の頭を食べさせるシュールなヒーロに進化しています。
1988(昭和63)年にはアニメ化され、その人気は不動のものになりました。すでに世代を超えたヒーローですね。
なぜ、やなせ氏はこのような話を書いたのでしょうか。そこには、やなせ氏の戦争体験がありました。
やなせ氏は1941(昭和16)年に徴兵され、戦争を体験することになりますが、そこで一番辛かったのは「飢え」だったそうです。
また、戦争が終わり、これまで「正義」だと思っていたものが「悪」に転じたことで、「本当の正義とは何か」を考えるようになったと言います。
そして、「本当の正義とは、例えば空腹の人に一片のパンを与えることである。」という考えに至るようになりました。
やなせ氏はアンパンマンの話を通して、「飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が違っても国が違っても正しいことに変わらない。絶対的な正義である。」ということを世間に伝えようとしたのです。
ちなみに主人公としてあんぱんを選んだ理由として、「あんぱんは日持ちがする。
そして外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」とやなせ氏は解説しています。
やなせ氏は2013年に亡くなられましたが、これからもアンパンマンがやなせ氏に代わって、これらの思いを伝えてくれることでしょう。
おわりに みんな大好き「あんぱん」は偉大だった
文明開化のシンボル的存在で、宮内庁御用達だったあんぱん。140年以上の時を経てベーカリーやスーパー、コンビニなど、どこでも簡単に手に入る美味しくて身近な菓子パンとして今も人々に愛され続けています。
ついには、アンパンマンというヒーローまで生み出してしまうのですから、日本人のあんぱんへの思いは特別なものがあると思います。これからも末永く食べ続けられていくことでしょう。
今日のおやつに「あんぱん」はいかがですか。