【今日は何の日】2月1日の記念日:テレビ放送記念日、京都市電開業記念日など

2月に入りました。まだ立春前ということで、暦の上でも、平均気温のデータみても一年で最も寒い時期が続くころです。

テレビ放送記念日

1953年(昭和28年)2月1日、NHKが東京地区で日本初のテレビの本放送を開始しました。この日の午後2時に、「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります……」と第一声が流れて本放送が始まりました。本放送開始当日の受信契約数はわずか866件です。

貧しかったが、ブラウン管発明の高柳博士や八木アンテナなど技術は持っていた。

それにしても終戦からわずか7年半で、ほぼ自力でテレビ放送にこぎつけたのですから大したものですね。確かに戦争には負けましたが日本にはテレビ放送を行うだけの要素技術はありました。
1926年12月25日に、高柳健次郎博士が世界で初めてブラウン管を用いて電子映像表示に成功させています。

世界で最初にテレビに映し出された映像は「イ」 - 知らなくても良い雑学ブログ
世界で初めてブラウン管に映されたのは「イ」であった


アンテナも、大正の末期に東北帝国大学(現、東北大学)の八木秀次教授と宇田新太郎講師(当時の職名)によって発明されて、いまでも通称「八木アンテナ」、「八木・宇田アンテナ」と呼ばれています。このアンテナ、海外の方が軍事面の活用で大注目しており、第二次世界大戦では欧米諸国において、レーダーや航空機の盲目着陸などへの使用を目的として実用化が着々と進められています。日本が当時英領のシンガポールに上陸した際に英国軍が使用していた、つまり外国が軍事兵器として実用化したことを初めて知ります。


技術で先行してその後の競争で負けるという日本のお決まりのパターンはこの頃からあったのですね。今後このようなことが無いよう願っています。

八木アンテナ

NHKがテレビ放送開始一番乗り、では民放は?


同年、1953年8月28日には、民間放送として日本テレビ(NTV)が本放送を開始しています。民間放送としては日本テレビが一番乗りだったのですね。

東京以外の主要都市ではいつ頃テレビ放送が開始されたのか?


大阪、名古屋でのNHKの本放送は、東京から遅れること1年、1954(昭和34)年3月1日からはじまりました。
ちなみに名古屋ですと、3月1日から本放送がはじまったのにも関わらず、テレビ塔完成まであと数ヶ月というところでしたので、500wの出力での本放送開始です。この出力がどれほどのものか、専門外のため何とも言えませんが、8月22日には名古屋テレビ塔から10kwの出力に増力されていますので、相当弱かったのだろうと思います。名古屋市以外では映っていたのでしょうか。

東京タワーはまだなかった。どこから電波を送っていたのか?

東京タワーが完成したのは1958(昭和33)年、翌59年には電波の発射を開始しています。さて、この間、東京、関東地方のテレビの電波はどこから送られていたのでしょうか。
実は、東京タワーの完成までは、テレビ局がそれぞれ自局の敷地に電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていました。東京タワーは電波塔を「集約」する役割もはたしていたのです。この集約のためには、電波の配分と各局の利害がかみ合わず大変だったようです。今の携帯電話キャリアのプラチナバンドに通じるところがあります。

大阪に通天閣はあるが電波は発信していない

通天閣は現在のもので二代目、1956(昭和31)年に完成しています。これは純粋に展望台からの眺めを楽しむための観光名所。大阪はすぐ近くに生駒山(標高642m)が有りますので、そこにアンテナを立てればスカイツリー以上の高さの電波塔の役割を果たします(一番高い読売テレビ放送の 電波塔は山の高さを合わせて723m)。
このように市街地近郊にそれなりの高さの山がある場合、その山の山頂にアンテナや電波塔を建てれば安上がりなので、全国の主要都市ではこの方式の方が主流です。東京タワー、東京スカイツリー、名古屋テレビ塔(デジタル放送と老朽化で電波塔としての役割は終えています)、さっぽろテレビ塔など、電波塔が街のシンボル、ランドマークになっている都市の方が珍しいと言えます。

京都市電開業記念日(路面電車営業運転の日)

1895(明治28)年〉2月1日、京都電気鉄道によって日本初の電気鉄道事業である京都市電が開業し、路面電車の営業運転がはじまりました。これは「路面電車」で、初の路線は東洞院塩小路下ル(京都駅近く)-伏見下油掛(京橋)間です。なお、1978(昭和53)年9月30日に廃線になっています。


 なお、日本初の路面電車の運転は、1890年〈明治23年〉に東京上野公園で開かれていた「第3回内国勧業博覧会」での会場内ですでに行われています。いわゆるパビリオン、展示物のひとつですね。

なぜ京都で日本初の「電車」が?


京都では、琵琶湖からひかれる疏水の有効的な利用法として日本最初の水力発電がはじまり、1890(明治24)年に電力供給が開始されています。東京は当時は馬車鉄道。電車に切り替えられたのは1899明治32年)のことです。京都が意外にも(失礼)先進都市だったのですね。

いまでも愛知県の博物館明治村で乗ることができる

博物館明治村では、明治時代にドイツで製造された京都市電が2台、明治期の姿に復元して動態保存されており、開村日(営業日)には毎日運転されています。1961(昭和36)年に廃止された京都市電北野線で走っていた車両とのことです)1回500円で乗車できます。SLとの乗り放題で800円。市電としては高いですが、博物館のアトラクションとしては丁度いい値段でしょう。100年以上前の乗り物に乗ってタイムトラベルできるのですから乗らないとソンです。あと明治村は起伏が有りますから一日元気で見学したいと思うと、やっぱり楽したいので乗りたいなと(本音)。

京都市電|明治村ののりもの|体験|村内の楽しみ方|博物館明治村
出典:博物館明治村

電車の到来を知らせる少年「告知人制度」

電車だけあってそれなりに静かです。プリウスが音もなく路地を走っていると歩行者がびっくりするのと同じ感覚でしょうか。そこで当時の京都府は、電車の数メートル先に、昼は旗、夜は提灯をもった少年を配置し、「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながら線路を走るようにしました。彼らの正式名称は「告知人」。通称は先走りと呼ばれていたようです。

この告知人制度は、仕事は危険な上に汗とほこりにまみれての重労働で、更には少年が電車にひかれる事故が相次いだため、しばらくして廃止されました。

電車のフロントに付けられている網は何?

当時の運行会社(京都電気鉄道)は、告知人の少年たちの事故にたまりかねて告知人制度の廃止を申し出たのですが、その対案が救助網を電車前面の車台に取付けることで歩行者を事故から守るというものでした。網ではなくても巻き込み防止のカバーでも良さそうですが・・・。
ちなみに、最高速度は時速8マイル(なぜかマイル、12.9km/h)とされていたため、告知人の少年が走って随行できたし、網を付けることで安全対策となったわけです。これぐらいの速度でも、京都の夏の暑さを考えると、歩かなくて済むのは助かりますね。

琉球王国建国記念の日


沖縄県観光事業協同組合が定めました。1425年2月1日の琉球の交易記録に、明の宣徳帝が琉球の尚巴志を王と記載したものがあります。これが琉球王国が対外的に認められたことがわかる最古の文書となっています。

ニオイの日

必ずある語呂合わせ由来の記念日。ニオイの日は「に(2)お(0)い(1)」と読む語呂合わせから制定されました。制定したのは、消臭スプレー「ファブリーズ」などを手がけるP&Gジャパンです。ファブリーズが発売されたのは1999年。ニオイの日は翌2000年に制定されました。いつもマーケティングがうまいなあ。

プロ野球キャンプイン(の日)

日本のプロ野球、毎年2月1日に全チームが一斉に「春季キャンプ」を行うことが恒例となっています。これは、野球協約では、毎年2月1日から11月30日までの10カ月間を参稼(さんか)期間と定め、12月、1月の2カ月間は球団の拘束期間外だからだそうです。全球団が一斉にというところが、日本らしいといいますか。またその前に「合同自主トレ」などという、どっち付かずなトレーニングもあるのも冷静に考えると不思議ではあります。

このほかの2月1日付けの記念日

重ね正月・一夜正月、ガーナチョコレートの日、LG21の日、

仙台市天文台の日、メンマの日、2分の1成人式の日、プリキュアの日、

神戸プリンの日、ロゼット「セラミド」の日、ケンハモ「メロディオン」の日、

フレイルの日、資格チャレンジの日、釜飯の日、あずきの日、省エネルギーの日など